《責任のがれはやめよ》十月のテーマ 経営者も家庭人
今週の倫理893号
人間にとって、もっとも大切なのは、
自分が仕事を通じて、健全な社会の建設のために、どれほど貢献しているか、
ということである。
とくに父親は、この道をまっすぐに進む必要がある。
父親がそうした気持ちで、ひたむきに働くとき、
その状態は妻である母親に影響し、わが子にも反映する。
父親がフラフラしていると、子どももフラフラするのである。
父親の心意や行動は子どもに反映する。
それは共にいる時間の長短に関係ない。
親と子は目に見えないところで深く強くつながりあっているのであるから、
子どもがみていないからといって、
子どもに教えるべきしつけと反対のことを父親がしていると、
それを目撃していないはずの子どもが、
父親と同じことをいつのまにか行なっている。
わが子は見えないところで自分を見ている、わが子のいないところでも、
わが子をしつけることができるという信念ではたらくのがほんとうだ。
またたとえ、仕事で忙しくわが子と接する時間が少なくても、
たったひとこと、子どもに「こうしなさいよ」と言ってやるだけで、
ピンと子どもに響くのである。
いつも一緒にいて、くどくどと同じことを繰り返して言っているだけがしつけではない。
百の説教より一つの実行。百の注意より一つのすすめ。
こういったことの方が、効果は大きいのだ。
父親はほとんど実行しないでいるくせに、
母親のせいにして妻に子どもを叱らせるようなことは、
もっとも下手な教育である。
子どもがほんとうに社会に尽くし、
社会のためになる働きをする人間になるかどうか。
他人になるべく迷惑をかけないような、しっかりした人間になるかどうか。
その教育の責任の半分は父親にある。
いや半分どころではない。
すべての責任は父親にあると自覚するのが、まことの父親の愛情である。
妻の欠点のすべてを抱き、暖かくわが家をつつむのが夫の愛情だ。
「いっさいの責任は自分にある」と大手を広げて受けて立つ。
そこに一家の愛和の基礎がある。
こうした愛情をもって、職場においても、いつも子どもが見ているぞとの信念で働く。
それがほんとうの父親なのである。
夫(父親)としては妻(母親)に責めを負わせないという度量と確信で、
力いっぱいその日を働きぬく。
そこにあふれるような喜びが、しかも高く、清らかな楽しさが湧いてくるのではないか。
そして子どものすること、なすこと、すべてわが責任であるから、
「今日もしっかり勉強し、そして元気いっぱいに遊べ」と、
自分の仕事にうちこんでゆく。
そこに何ともいえぬ生活の歓喜がにじみ出てくるのだ。
ドンと来い! などという真骨頂は、そうしたところにある。
世の父親たる者、もっとこの人生を力いっぱい活躍し、
生きぬいていこうではないか。
(単行本『あなたは生命の元を見つけたか』より)
一般社団法人 倫理研究所法人局
今週の倫理893号
人間にとって、もっとも大切なのは、
自分が仕事を通じて、健全な社会の建設のために、どれほど貢献しているか、
ということである。
とくに父親は、この道をまっすぐに進む必要がある。
父親がそうした気持ちで、ひたむきに働くとき、
その状態は妻である母親に影響し、わが子にも反映する。
父親がフラフラしていると、子どももフラフラするのである。
父親の心意や行動は子どもに反映する。
それは共にいる時間の長短に関係ない。
親と子は目に見えないところで深く強くつながりあっているのであるから、
子どもがみていないからといって、
子どもに教えるべきしつけと反対のことを父親がしていると、
それを目撃していないはずの子どもが、
父親と同じことをいつのまにか行なっている。
わが子は見えないところで自分を見ている、わが子のいないところでも、
わが子をしつけることができるという信念ではたらくのがほんとうだ。
またたとえ、仕事で忙しくわが子と接する時間が少なくても、
たったひとこと、子どもに「こうしなさいよ」と言ってやるだけで、
ピンと子どもに響くのである。
いつも一緒にいて、くどくどと同じことを繰り返して言っているだけがしつけではない。
百の説教より一つの実行。百の注意より一つのすすめ。
こういったことの方が、効果は大きいのだ。
父親はほとんど実行しないでいるくせに、
母親のせいにして妻に子どもを叱らせるようなことは、
もっとも下手な教育である。
子どもがほんとうに社会に尽くし、
社会のためになる働きをする人間になるかどうか。
他人になるべく迷惑をかけないような、しっかりした人間になるかどうか。
その教育の責任の半分は父親にある。
いや半分どころではない。
すべての責任は父親にあると自覚するのが、まことの父親の愛情である。
妻の欠点のすべてを抱き、暖かくわが家をつつむのが夫の愛情だ。
「いっさいの責任は自分にある」と大手を広げて受けて立つ。
そこに一家の愛和の基礎がある。
こうした愛情をもって、職場においても、いつも子どもが見ているぞとの信念で働く。
それがほんとうの父親なのである。
夫(父親)としては妻(母親)に責めを負わせないという度量と確信で、
力いっぱいその日を働きぬく。
そこにあふれるような喜びが、しかも高く、清らかな楽しさが湧いてくるのではないか。
そして子どものすること、なすこと、すべてわが責任であるから、
「今日もしっかり勉強し、そして元気いっぱいに遊べ」と、
自分の仕事にうちこんでゆく。
そこに何ともいえぬ生活の歓喜がにじみ出てくるのだ。
ドンと来い! などという真骨頂は、そうしたところにある。
世の父親たる者、もっとこの人生を力いっぱい活躍し、
生きぬいていこうではないか。
(単行本『あなたは生命の元を見つけたか』より)
一般社団法人 倫理研究所法人局