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2014年09月14日

《変化対応の鍵はどこに?》九月のテーマ 波に乗る
今週の倫理890号

近年の再生可能エネルギーへの関心と相まって、
技術革新による世の中の変化がいっそう加速しています。
自動車業界では、ハイブリッドカーや電気自動車の普及が進み、
リッター三十キロを越えて走る低燃費の車が次々と登場しました。
エネルギーの分野では、シェール層から抽出する石油や天然ガス
(シェールガス)が注目を集めています。
また、ミドリムシからオイルを生産するバイオ燃料の研究や、
微生物が有機物を分解する際に電気を生み出す原理を利用した
「微生物燃料電池」の開発も進んでいます。
こうした社会の構造を変えるような技術革新や景気変動の波は、
一定の周期で起きると、様々な経済学者が唱えています。
             *
「世はまさに波動である、リズムである」。
これは倫理運動の創始者・丸山敏雄の言葉です。
さっと来て去る波、遅い波と、その波長に長短はあるものの、
行きつ戻りつ、浮びつ沈みつゴールに入る。
これが人生である、と著書の中で述べています(『純粋倫理原論』)。
 世の中の動きすべてに、リズムがあるとすれば、
変化に対応して、うまく時代の波に乗るには何が必要なのでしょうか。

近江屋ロープ株式会社という会社があります。
創業は一八〇五年。網づくりを本業とし、
明治以降は、林業や農業、鉱山の現場で使用する麻や綿の販売で栄えました。
戦後はビニールやナイロン製のロープの卸売り専門会社となり、
成長を続けます。しかし、林業の衰退やバブル崩壊後の公共事業の減少に伴って、
やがて経営危機に陥ってしまいます。

この時、社員の提案から起死回生の一手が生まれました。
山が荒れ、急増したイノシシやシカから農産物の被害を防ぐため、
害獣の侵入を防ぐネットの製造に乗り出したのです。
需要は思いのほか多く、特に、イノシシの侵入を防ぐネット「イノシッシ」は、
ネーミングのインパクトもあり大ヒット。会社は息を吹き返したのです。
時代の変化に対応して経営悪化からの回復を成し遂げたのですが、
その背景には、これまでの蓄積がありました。
ロープに関するノウハウ、山や森との関わりという自社の強みがあったからこそ、
時代の変化に対応できたのです。
新たなビジネスも、本業のレールの延長線上にあったのです。

時代の変化に対応するために、
過去のプライドや成功体験を捨てて臨むのは大切でしょう。
その一方で、捨ててはならないものがあります。
それは、何の会社なのかという企業の「本(もと)」、
本業であるコアの部分です。根無し草では、波に翻弄されて溺れてしまうでしょう。
変わらないわが社の「本」を見つめ、そこで働く人の心と、
企業の「本」がしっかりつながること。
これが時代の波に対応するための秘訣ではないでしょうか。


参考資料
『週間エコノミスト』8・26号( 毎日新聞社)
『千年企業の大逆転』野村進著(文藝春秋)
posted by いさはやせいかつ   at 16:26 | Comment(0) | 名言・格言

2014年09月03日

《スランプを抜け出すには》八月のテーマ 逆境のときこそ
今週の倫理888号

 自分を成長させたい、何とかこの問題をクリアしたい…と望んでも、
それが簡単に解決されることは稀でしょう。
好結果に至るまでの道のりは、なかなか厳しいものです。
今週は、二月に開催された冬季ソチ五輪で、
男子シングル・フィギュアスケート選手の一人として活躍した、
町田樹選手のエピソードを紹介しましょう。

町田選手がフィギュアスケートと出合ったのは三歳の頃です。
家族に励まされながらトレーニングを続けますが、
特に熱心に応援してくれたのは母の弥生さんでした。
母子での早朝ランニングを日課とし、
遠征中や合宿中も毎日会話をして、弱音を受け止める相手になってくれました。
用具代や遠征費がかさんだ時は、昼と深夜に飲食店で働くなどして、
やりくりをしてくれました。

運動能力に恵まれていたわけでもなく、
スポンサーやマネジメント会社のサポートもない中で、町田選手は、
オリンピック出場の夢に向かってひたすら努力を続けました。
家族の温かな支えもあって、メキメキと実力を上げ、
やがて国際大会にも出場するまでにレベルアップしていきました。

 2012年のグランプリシリーズ中国大会で優勝。
その後のグランプリファイナルにも出場しますが、
成績はまさかの最下位でした。
直後の全日本選手権でも9位と惨敗し、
ソチ五輪を前に、精神的にひどく落ち込みます。
スランプに陥った町田選手を、ある日、母親の弥生さんは
「自分自身を変えないと一生勝てないよ」と叱り飛ばしました。
母の厳しい一言と、そこに込められた深い慈愛にハッとさせられ、
町田選手は奮起します。

 気合を入れるため髪を丸刈りにして、坊主頭の写真と共に、
「試合期間中は電話してこないで」と母に決意を伝えました。
弥生さんは、そのメールから「何としても五輪に行く」
という強い決意を感じたといいます。
さらに、毎日の練習時間を自主的に一〜二時間延長して、
再起にかけたのです。
その後の試合では「自信を持って演じられるようになった」
とコーチからも評価され、ついに二十年間憧れていた
オリンピックの舞台へ立つことになったのでした。
               *
困難に直面した時、「困った、困った」と愚痴を言い、
弱音に終始していては、気持ちは萎縮するばかりです。
状況を打開するのは、「やってやるぞ」
「この苦しさを機会に自分を磨くぞ!」という前向きな心境と、
「成功するまでやり続ける」という継続力でしょう。

倫理研究所を創立した丸山敏雄は、青年に向けた書の中で、
「心境は、苦難あるごとに開け、障害にあうたびに成長する」
(『青春の倫理』)と喝破しています。

 困難な問題に果敢に挑戦する時、積極心は倍増され、
知恵や才覚が湧き出てくるものです。
苦難の中でこそ自分が磨かれると知り、
今直面していることから逃れずに、一歩ずつ前進していきましょう。

参考資料:『日本経済新聞』二月十三日
posted by いさはやせいかつ   at 10:13 | Comment(0) | 名言・格言

《人生の岐路に指す一手》八月のテーマ 逆境のときこそ
今週の倫理887号

 私たちの人生には様々な紆余曲折があります。
上昇気流に乗って商売がうまくいく時期。業績が悪化して、
資金繰りに苦しむ時期。
思いがけない逆境に直面して、
生きるか死ぬかの経験をする時期があるかもしれません。
誰しも、一生のうちに一度や二度は乗り越えなければならない
逆境に遭遇するでしょう。

それを乗り越えられるかどうかの分岐点は、
自らの「心」が密接に関係しているというのが、
私たちの学ぶ純粋倫理の特徴の一つです。
大なり小なり逆境に直面した時、
「困った」とか「苦しい」と言う人がいます。

「困」という字は「生命が囲われている状態」、
「苦」には「生命が枯渇している状態」という意味があります。
二つの字には、自分の生命を縮める、自分の能力に自分で限界点をつくる、
自分で成長を止めてしまう…
などの意味が隠されているのです。

将棋界の歴史に名を残す棋士故・升田幸三名人は、
大正七年に広島県で生まれました。
幼少の頃はやんちゃで、神社のご神体に小便をかけたり、
貧乏を馬鹿にされ、近所の女の子を日本刀で切りつけたりしたこともありました。
半面、将棋の腕は抜群で、近郷近在、升田少年にかなう者は誰もいませんでした。

 ある日「棋士になりたい」と母に伝えると猛反対されましたが、
自分の決めた道に進みたいという強い思いから、
母の物差しの裏に「この幸三、名人に香車をひいて勝ったら大阪に行く」
と書き置きして十四歳で家出。
木見金治郎名人の門下生になりました。

 昭和二十七年の第一期王将戦にて木村義雄名人を降して王将位を獲得。
昭和三十一年の第五期王将戦では、
大山康晴名人を相手に「名人に香車を引いて勝つ」という、
空前絶後の記録を達成。十四歳からの夢を実現させたのです。

なぜに氏は、自らに課した試練を乗り越え、
前人未到の偉業を成し遂げることができたのでしょうか。
それは、常に自分を向上させる自己暗示をかけていたからだと、
自著の中で語っています。
「私は自己暗示というのは、人生にとって非常にだいじなことだと思っている。
(中略)不成功に終わる人というのは、
自己に無意識のうちに自信喪失させるような暗示をかけている。
おれはもうダメだとか、終わりだとか、始終ボヤいたりして、
自分を奈落の底に落ちこませるような自己暗示をね。
逆に、伸びる人というのは、いつも自分を向上させるような暗示をかけてますよ。

ここに、わたしゃ分かれ道があると思う。
同じことでも、自信をつけるのと奈落の底へ落ちるように仕向けてるのとでは、
これ、天地の差がありますよ」(升田幸三『勝負』成甲書房)

どの世界でも、一流や超一流と言われて成功している人に
共通している資質の一つに「プラス思考」が挙げられます。
私たちも、いい言葉やプラスの言葉で自らの心に暗示をかけてみましょう。
そして、どのような逆境でも乗り越えていくという
不退転の決意で突き進む時に、順境という明るい道は拓けてくるのです。
posted by いさはやせいかつ   at 10:02 | Comment(0) | 名言・格言