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2017年07月21日

諫早大水害 「 洪水 」

諫早大水害 「 洪水 」
昭和32.7.25 水害体験記
長崎県諫早市教育委員会編 
※注 市内の小中学生の 体験談です。

小学生の時、諫早は、80年ぶりの 大水害に襲われました。
諫早駅前の 永昌東町は、当時、永昌町東 と呼ばれ、
今の永昌町は線路より上で、永昌町西 と言われていました。
線路上の永昌町西の人は、地獄の一夜が明けて、初めて、
永昌東町の 水害に気が付いたそうです。
御館山小学校は、高台なので、被害はありませんでしたが
児童が、10名ほど亡くなったと 記憶しています。

市内では、一夜で 600名以上が、犠牲と なられました。
当時は、電話回線が不通になったために、
諫早は 全滅したと 報道されたそうです。
諫早高校の 無線部員によって、
市内の状況の 第一報が伝えられたそうです。
当時も、諫高は、市役所のすぐ近くにありました。

当時の、作文集があります
御館山小学校の児童の作文も、7名載っていました。
うち、2名は お知り合いの方でした。
住所の 永昌町 とあるのは、今の永昌東町のことです。

文集の写真も写したのですが、うまく載せることができませんでした。
諫早の歴史博物館で、諫早大水害展が開かれていますので
ぜひ、大水害の状況を 見て、語り継いでいってください。

・・・ 皆様、安らかに お眠りください。・ ・ ・

今回の九州北部水害の、復旧作業の方々、この暑さの中、
くれぐれも、ご無理をなさいませんように、ご注意ください。

posted by いさはやせいかつ   at 16:55 | 行事・出来事