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2014年05月31日

稲盛和夫氏 今週の言葉

人生には、近道や魔法の絨毯は存在しない。
自分の足で一歩ずつ歩いていかなければならない。
その一歩一歩がいつか信じられない高みにまで、
私たちを運んでくれる。
これが、夢の実現に至る、唯一確実な方法なのだ。
posted by いさはやせいかつ   at 18:55 | Comment(0) | 名言・格言

2014年05月30日

松下幸之助氏一日一語5月30日 叱ってもらえる幸せ 

叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である。
叱ってくれ手のないことは寂しいことである。
どんな人でも、より多く叱ってもらうことにより、
進歩向上が得られるのだ。

叱られて反感を持ち、不愉快な態度を示すことは、
再び叱ってもらえる機会を失うとともに 
自己の進歩はもうそれで行き詰まりとなる。
叱ってもらうことは自己向上の一大資料であることを感じて、
これを受け入れてこそ、そこに効果が生まれるのである。

修業途中にある諸君は、叱ってもらうことの尊さを知り、
叱られることに 大いなる歓びを感じる境地に到達しなければならない
と思うのである。

  ・ ・ ・ ・ ・ 

本当に そのとうり ですね。
posted by いさはやせいかつ   at 20:54 | Comment(0) | 名言・格言

2014年05月24日

《消極的か 積極的か?》五月のテーマ 人生の岐路 今週の倫理873号

塗装会社に勤務するNさん。
現在は第一線で活躍していますが、入社一年目の時に、岐路に立たされました。
入社当初は〈お客様の笑顔のために精一杯働こう〉と希望に燃えていましたが、
半年も経つと、不満が出てきたのです。
 先輩と一緒に現場に出ても、塗装前の下地処理しかさせてもらえません。
事務所内でも塗料の発注くらいしか役目が与えられず、
毎日地味な作業ばかりでした。

頑張っても報われない日が続き、 次第に情熱も薄らいできました。
一年が経つ頃には、〈自分はこの会社に向いていないのではないか〉〈
転職したほうが良いのではないか〉と、悩むようになりました。
そんな時、塗料の発注ミスをしてしまったのです。

 Nさんが頼むはずだったのは特殊な塗料でした。
結局、納期に間に合わず、工事は延期になってしまいました。
上司と共に関係各所にお詫びをしながら、ふとNさんが上司から
言われたのが次の言葉です。

「塗装工事で一番大切なのは下地処理なんだ。目に見えなくても、
下地処理が適切にされていないと、綺麗に仕上がらない。
大切なことは目に見えないんだよ」

ゆっくりと、諭すように話す上司の言葉に、
Nさんは目が覚めるような思いがしました。
手間がかかり、目立たない下地処理が、実は重要な仕事だったのです。
ベテランの職人なら誰でも知っている塗装の基本が、
新人のNさんには新鮮でした。
 
〈もう一度頑張ろう〉と思ったNさんは、その後、積極的に働くようになりました。
下地処理だけではなく、面倒な事務処理も、自分なりに工夫して、
良い方法を見つけて取り組むようになりました。 
いつしか転職を考えたことも忘れ、数年後には、
現場を任されるまでに成長したのです。

*同じ会社で、同じ仕事をしていながら、
Nさんの働きに、なぜこれほど違いが生じたのでしょう。
ポイントは、心の状態です。

ミスをするまでのNさんは、入社当初の気持ちを忘れ、
〈この仕事は向いていない〉〈どうせやめるんだから〉
と消極的な心で仕事をしていました。
その後、先輩の助言のお陰で仕事にやりがいを見い出せるようになり、
仕事の成果もぐんぐん上がりました。

消極的か、積極的か――。
この心の状態は、人生の岐路での選択にも大きな影響を及ぼします。
転職をやめて会社に残る場合も、
〈他に行くところもないし…〉と仕方なく残るのと、
〈この仕事を頑張ろう〉と積極的に残るのでは、
仕事の成果も、人生の行方さえも大きく変わるでしょう。
受験や就職、転職、独立、結婚など、人は誰でも分岐点に出合います。
人生を左右する岐路では悩みも深まるものですが、
何かを選ぶなら、前向きに決意したいものです。
積極的な心で選択した時にこそ、苦しくても、喜びに満ちた人生が待っているからです。
posted by いさはやせいかつ   at 08:50 | Comment(0) | 名言・格言

稲盛和夫氏 今週の言葉

 人生とは、

 自分自身が脚本を書き、主役を演じるドラマだ。

 どのようなドラマを描くかは自分次第であり、

 心や考え方を高めることによって

 運命を変えることができる。


このブログの左側 おすすめサイトをご覧ください。
posted by いさはやせいかつ   at 08:25 | Comment(0) | 名言・格言

2014年05月23日

松下幸之助氏一日一話 5月23日 社長は心配役

社長というものは、従業員が1万人いれば1万人の心配を背負っていくものです。
ですから、心配で夜も眠れないというときもあります。
眠れないからつらい、苦しい。
しかし、そのように心配するのが社長の仕事なのです。
そのために死んでも、それは早く言えば名誉の戦死ではないか、
そう考えるところに社長としての生きがいも生まれてきます。

社長が心配しないでのんびりやれる会社などあり得ない。
眠れなかったり、煩悶したりしている姿こそ社長の姿で、
そこに社長としての生きがいがある。
そういう考え方に立つことが、
激動の時代である今日の経営者には求められているのではないでしょうか。

  ・ ・ ・ ・ ・
 
最近は、稲盛和夫氏と中村天風氏の肉声に こっていますが、
今日は、久しぶりに、「松下幸之助一日一話」を開いてみました。
「おすすめサイト」をご覧ください。
 
大企業であっても、小さな小売店であっても、トップに共通することは
最終決断を下さなければならない ということですネ。
posted by いさはやせいかつ   at 10:43 | Comment(0) | 名言・格言

2014年05月20日

《経営のタテ軸を道標に進む》五月のテーマ 人生の岐路 今週の倫理872号

人間は、一日の中で約二万回の選択をしているといわれています。
朝、目が覚めて「起きるか、起きないか」の選択からスタートし、
「何を着ていくか」「朝食を食べるかどうか」など、数えるときりがありません。
また、無意識のレベルでも、五感によって
外界の状況をさまざまに取捨選択しているようです。
「目や耳は見たいものだけを見て、聞きたいものだけを聞いている」
という「知覚の選択性」という働きも考慮すると、
取捨選択の回数はさらに増えるでしょう。

日々の軽微な選択だけでなく、
時には人生を左右する選択をしなければならない場面もあります。
岐路に立たされた時、人は何を基準に進む道を選ぶのか。
Y氏の場合は「難きを選べ」という言葉を座右の銘としています。
「事が大変になった時、簡単で安易な道を選ぶと
一時的に楽にはなるけれども、長い目で見ると結果としてプラスにならない。
道行きに迷った時は、厳しい方向に向かったほうがいい」と、
Y氏は語ります。

『論語』にも、「仁者は難きを先にして獲ることを後にす」
(教養のある人は、困難、問題を先にして行ない、得になるような事は後にする)
と、同じような教訓が残されています。
経営者や組織の責任者もまた、選択の連続です。
時には会社の命運を左右する選択もあるでしょう。
一つの決断が大きな責任を伴う場合も少なくありません。

経営においては何を選択の基準にしたらよいでしょうか。
倫理経営においては、経営の「経」をタテ軸、「営」をヨコ軸と捉えて、
容易に変えない、動かない「経」のタテ軸を拠り所とすることが大切だと考えています。
「タテ軸とは『道』とか『理』、
すなわち時代が変わっても変わらない原理・原則、
あるいは経営の理念や基本方針を指す。
迷って方向を失ったときにはすぐさま戻るべき、経営の原点でもある」
(『倫理経営のすすめ』丸山敏秋著)

経営においては、芯となるしっかりとした縦軸がなければ、
問題が起きるたびに右往左往してしまいます。
また、岐路(苦難)に遭遇した時には、明朗な心境でこれを受け止め、
ぶれない縦軸をしっかりと自覚して、
自信を持って選択した道を押し進むことが大切であるとも説いています。

「光明と暗黒の岐路に立った時、毅然として光明の面に向き直って、
ひた押しに押し進む。
また岐れ路に立った時、これをくり返す」(『人類の朝光』丸山敏雄著)
たとえ苦難に直面しても明るく朗らかな心境で前進し続けることで、
やがて確固たる判断基準が心の中に打ちたてられ、
信念に基づいた強い突破力が培われていくものです。

それらを磨き高めていくのが、気づいたらすぐ行動に移す「即行」の実践です。
まずは、朝目が覚めたらグズグズせずに、パッと起きる実践から始めましょう。
朝一番のその選択が、より充実した一日を作り上げるのです。
posted by いさはやせいかつ   at 18:55 | Comment(0) | 名言・格言

《飽きこそ転機》 今週の倫理871号

カレーライスとカツライスだけをいつも昼食に出している洋食屋があった。
この店のメニューはこれだけだった。
学生のN君は、この二つを交互に食べてきたが、いつも同じでつまらない、
とうとう飽きてしまった。
「こうなったら、自分で何か作るしかない」。
N君はそう結論づけて、その年の二月、親しくしているその店の調理場に入らせてもらい、
自己流の料理を作ってみた。
 皿盛りのご飯を丼に移し、その上にカツライス用のカツをのせ、
メリケン粉をといてソースを煮つめた汁をかけた。
そして青エンドウを上にあしらってみた。
食べてみると、なかなかいける。

「こりゃ、なんというのか、うまいぞ」とまわりからいわれ、
N君は、「うーん、そうだな、カツ丼だ」と即座に答えたのだが、
この「カツ丼」は大当たりで、たちまち銀座や日本橋の食堂でも作る店が続出し、
ほどなく大阪にも広がったそうである。カレーライスとともに、
もっともポピュラーな国民食となっているカツ丼は、
一九二一年にこうして生まれ出たのであった(『早稲田大学史』による)。

 ここで注目したいのは、従来のカツライスに飽き飽きしたとき、
新しいカツ料理が作られたということだ。
同じものを見たり、聞いたり、食べたり、いろいろやっていると、
飽きがくる。だがそこにこそ、その飽きを活用するか、
あるいはそのままで過ごしてしまうのか分かれ道があるのである。
 同じようなカツライスを毎日食べていても飽きない人があるだろう。
あるいは飽きていても、我慢して食べている人もあるだろう。
Nさんの場合は、飽きたのである。何か新工夫はできないものか。

そうした単純な考えの中に、ヒントがひらめいたのである。
 発明とか発見とか、そしてまた広い意味においての成功などというものは、
こうした飽きや苦難の中から生まれてくることが多い。
ぼんやりと飽きの中に、ただ飽いてアクビをしているだけでは改良改善はできない。
向上もない。

職業に飽きがきたらどうするか。「飽きずにやるのが商いだ」という人もあるが、
転職もひとつの道であろう。しかしたんに飽きっぽい性格ではどの職業を選んでも、
飽きがきて、次から次へととどまることがない。
自分がやらねばならない今の仕事、それに飽きがきた。どうしたらよいか。

そのときこそ進歩か、退歩か、それとも現状維持のままか、
それらを決する重大な分かれ道に立っているのである。
もし飽きがきたら、その中に前進の道ありと心得て、
その仕事をよく見、よく感じ直すことだ。
「アーアー、また掃除か」と思うようだったら、
そこにこそ進歩改善の妙法ありと気持ちをかえ、気をつけてのぞむ。
すぐにその妙法は得られなくても、そう気分をかえただけでも楽しくなる。

全く同じことを続けてやる一貫不怠の道のほかに、
こうした飽きを活用する道も厳然として存在するのである。
単行本『常に活路あり』より)
posted by いさはやせいかつ   at 18:44 | Comment(0) | 名言・格言

2014年05月15日

《心を磨く三十一文字》言葉の力 今週の倫理870号

短歌は、五七五七七の三十一文字からなる、日本の伝統文化の一つです。
喜びも悲しみも偽らず、誇張せず、そのまま、ありのままを言葉で表現します。
短歌づくりを始めて、十年が経つMさん。
結婚後、四人の子供に恵まれたMさんは、子供の成長を歌に詠んできました。
幼子のつかまり立ちの練習にアイロン台はほど良い高さ
これは、生後十カ月でつかまり立ちを覚え始めた三男の愛くるしい姿を詠んだ歌です。
ライダーに変身をした幼子は強くなったと兄に歯向かう
三歳の次男が、仮面ライダーの変身ベルトを装着し、兄と触れ合う姿を表現しました。
幼子の父の日に書いた似顔絵は点々のヒゲと右手にビール
当時五歳だった長女からの贈り物。その嬉しさを詠んだ歌です。 
幼子の背中で踊るランドセル
春の日差しにキラリ輝く小学校に入学した長男。
弾む足取りで、真新しいランドセルを背負い通学する姿を表現しました。
家庭内の日常を短歌に詠み続けて、
Mさんは、子供一人ひとりの個性を実感できるようになりました。
「その個性を伸ばしてあげることこそが親の役目だ」と、Mさんは感じています。
*倫理研究所が行なっている文化事業の一つに、「しきなみ短歌会」があります。
倫理運動の創始者・丸山敏雄が、昭和二十一年三月に創立しました。
現在、「しきなみ短歌会」の支苑数は、全国で三四五。
月刊誌『しきなみ』には、毎月五千二百名近くの投稿者があり、
日本の短歌結社誌では、出詠数トップとなっています。
個性の発揚、生活の浄化には、種々の道があるであろう。
ここにわれらは、短歌を得た。
短歌は、われらの祖先が、最初に築きあげた芸術であり、
今日残されて居る初期のものでも、すばらしい高さに達している。(中略)
文学の形式として、このような長い生命をもっているものは、外にないといわれる。
実にわが国はえぬきの、また独得の平明簡素な詩形である。
(丸山敏雄『作歌の書』より)
短歌を通じて、生活の浄化と個性の発揚を目指すところが、
しきなみ短歌の大きな特色です。
短歌を詠むにはまず「じっと見る」ことから始まります。
仕事で忙しく、子供たちと接する時間も少ないMさんでしたが、
短歌をきっかけに、子供たちをじっと見るようになりました。
「毎日の生活を改めて見直してみると、そこに美しさが満ち溢れていることがわかる」
と丸山敏雄は説いています。
短歌づくりを機に子供たちの成長を知り、
ありのままの良さを見つけられるようになったMさん。
家族に限らず、周囲の人や物に対しても、感動をしたり、
感謝をしたりすることが多くなったといいます。
短歌は、ありのままを言葉で表現することで、自らの心を磨く実践なのです。
posted by いさはやせいかつ   at 09:40 | Comment(0) | 名言・格言

《間に合った父親への手紙》今週の倫理869号

N氏の父親は、戦後の混乱の中、二十代で建設会社を立ち上げました。
ワンマン経営で、家族を省みず、人から何を言われても我が道を突き進んだ父。
N氏は、そのような父に対して、強い憎しみさえ抱いていました。
N氏が中学校三年生の時、母親が置手紙を残して失踪。一年後に離婚調停が成立して、
兄弟も離れ離れになりました。
成人したN氏は、父親の口利きにより、地元のゼネコンで働きます。
父親からのラブコールにより、三十三歳の時に一度、父の会社に戻りました。
しかし、折り合いがつかず、四年後には退職して別会社を創業しました。
〈父親のようなワンマン経営は絶対しない〉という決意で臨んだ独立でしたが、
経営はうまくいきません。
創業九年目で大病を患い、退院すると、四人の社員が次々と退職。
健康には自信があったN氏でしたが、心も身体もボロボロの状態でした。
そのような時に出合ったのが、純粋倫理です。
同業者のK氏の会社を訪問した際、そこで目にした朝礼が、
これまで見たこともない活力溢れる朝礼だったのです。
「これだ。俺の求めていたものはこの朝礼だ」と、N氏は倫理法人会に入会しました。
活力朝礼が浸透していくとともに、職場に少しずつ活気が生まれ、
N氏も倫理の学びを深めていったのです。
〈俺の人生はこれまで父親に振り回され、苦しめられ、悲しい思いばかりだった〉。
長年そんな思いに囚われてきたN氏でしたが、
倫理を学んで、薄皮をはがすようにわだかまりは溶けていきました。
ある時、N氏は富士高原研修所で開催されている「経営者セミナー」に参加しました。
講座の中で、両親へ手紙を書く時間が与えられました。
N氏の胸の奥底からは、父への葛藤とはまったく別の言葉が次々と湧き上がりました。
セミナーから帰宅をすると、父が癌の宣告を受け、余命二カ月であることを知ったのです。妻の提案で、癌に効くといわれる温泉に、両親を連れて出かけました。
夕食のお膳が運ばれた時です。
〈今伝えなければ、こんなチャンスは二度とない〉と、
N氏は勇気を出して手紙を読み上げました。
会社を継げなかったお詫びと、四年間仕事を教えてもらったお礼を告げ、
「親父は俺の恩師で、職親です。心から感謝しています」と言葉に出して伝えたのでした。
父はその言葉に泣き崩れました。
ご馳走がまったく喉を通らないほど泣いて、そのまま二人で温泉に入りました。
生まれて初めて父の背中を流しながら、親子でいろいろな話をしました。
一カ月後、父は安らかに息を引き取り、柩に感謝の手紙を入れて父を見送りました。
あれほど父を嫌っていたのが、最後には、感謝の気持ちで見送ることができたN氏。
何より、直接言葉で思いを伝えられたことで、
父亡き後も、太い絆で結ばれていることを実感しているといいます。
会社は現在好調で、長男も右腕となってN氏を支えています。
posted by いさはやせいかつ   at 09:32 | Comment(0) | 名言・格言