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2018年01月02日

お正月の花はやっぱり暮れに生けなければ 

正月花DSC_1102[1].jpg

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永年の習慣は、心に染みついていますね。
暮れには、
しめ縄と、お鏡餅の一式 餅・昆布・みかん・するめ・裏白・・・
 5重ね作ります。
  三宝さん(竃、今はコンロの上の棚)仏壇・神棚・事務所・居間
 
仏壇用と神棚用の花(松梅シキミ笹のセット) 
 そして、飾り用の花を買って、
庭からは、今年いっぱい実がなっているナンテンと、
 名前も知らない木・・・自然に生えてきた木です。

玄関と、仏壇の前と 2鉢生けました。
 
毎日、小さなことの積み重ね。
 それが、成功へつながる道。
節目、節目を 大切に してゆきたいと 思っています。

posted by いさはやせいかつ   at 11:39 | 行事・出来事

2018年01月01日

昨年 片付けをしていて、でてきた思いがけないもの
バブル期に 取引先から頂いた
「書」と「画」のカレンダーのうちの一つ
´86 のものです。

日本の心 墨蹟 一枚目は12月

水は青天に合して流る
 大森曹玄老師
 
今年もよろしくお願いします。

日本の心墨蹟表紙DSC_1101[1].jpg

日本の心墨蹟1枚目DSC_1103[1].jpg
posted by いさはやせいかつ   at 14:28 | 行事・出来事

掃除のときに出てきた、
 バブル時に頂いたカレンダー「書」と「日本画」
そのうちの ひとつ。
 6枚で、すべて 丸山応挙 でした。
1月は、鶴 です。

応挙1枚目DSC_1108[1].jpg

無理をしないで、一歩 一歩。
  確実に ・・・。
posted by いさはやせいかつ   at 13:18 | 行事・出来事

2017年07月22日

  「 洪水 」
 昭和32.7.25 水害体験記
 長崎県諫早市教育委員会編

この本は、学校から購入したと記憶しています。
今、東北の津波や、九州北部の、
被災のテレビ映像と 全く同じ状態が、
小学生の目で、体験談として描かれています。

私の記憶中でも、まったく同じで、
 稲光の中で、一瞬見える、
  二階の窓から、
手の届きそうな 所を流れる 濁流。

建物らしき大きなものが、流れて、
「 あれがぶつかれば、家が 壊れる 」
 との恐怖。

暗闇の中から聞こえてくる 
「 お世話になりました ・・・。
   ありがとうございました ・・・」
という 女性の 声 ・・・


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あの年は、水害日以後も、
  毎日毎日 雨が続きましたので、
床の掃除の水は、雨水を使いましたので  
  助かりました。

飲料水は、近所の井戸に 
  皆で、行列して、もらい水をしました。

給水車は ?? 
  記憶がありません。!! 


昨日の投稿も、合わせてお読みください。
posted by いさはやせいかつ   at 10:13 | 行事・出来事

2017年07月21日

大水害被害陶板高城水位標そば



高城水位標そば陶板PIC00018C.JPG

posted by いさはやせいかつ   at 19:56 | 行事・出来事

諫早大水害 「 洪水 」
昭和32.7.25 水害体験記
長崎県諫早市教育委員会編 
※注 市内の小中学生の 体験談です。

小学生の時、諫早は、80年ぶりの 大水害に襲われました。
諫早駅前の 永昌東町は、当時、永昌町東 と呼ばれ、
今の永昌町は線路より上で、永昌町西 と言われていました。
線路上の永昌町西の人は、地獄の一夜が明けて、初めて、
永昌東町の 水害に気が付いたそうです。
御館山小学校は、高台なので、被害はありませんでしたが
児童が、10名ほど亡くなったと 記憶しています。

市内では、一夜で 600名以上が、犠牲と なられました。
当時は、電話回線が不通になったために、
諫早は 全滅したと 報道されたそうです。
諫早高校の 無線部員によって、
市内の状況の 第一報が伝えられたそうです。
当時も、諫高は、市役所のすぐ近くにありました。

当時の、作文集があります
御館山小学校の児童の作文も、7名載っていました。
うち、2名は お知り合いの方でした。
住所の 永昌町 とあるのは、今の永昌東町のことです。

文集の写真も写したのですが、うまく載せることができませんでした。
諫早の歴史博物館で、諫早大水害展が開かれていますので
ぜひ、大水害の状況を 見て、語り継いでいってください。

・・・ 皆様、安らかに お眠りください。・ ・ ・

今回の九州北部水害の、復旧作業の方々、この暑さの中、
くれぐれも、ご無理をなさいませんように、ご注意ください。

posted by いさはやせいかつ   at 16:55 | 行事・出来事

2015年01月01日

神前神楽 「 浦安の舞 」 のCD を 聴いています。



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他にも、10曲入っています。
posted by いさはやせいかつ   at 09:17 | Comment(0) | 行事・出来事

2015年 おめでとうございます。
  皆さま、本年も、よろしくお願い申し上げます。

元旦、早朝に目が覚めまして、
 枕元で 河合隼雄氏の講演の CDを聴いていました。

そろそろ、起きようと、CDを、神前神楽に、切り替えました。

その昔、皇紀2600年の日、1940年昭和25年に、
全国の神社で、一斉に、その日のために作られた
「 浦安の舞 」 が舞われたそうです。
まだ若かった母も、七松八幡神社で、舞ったそうです。

今日は、一日、和楽を、流しながら、過ごしましょう。

窓の外は、雪 ・・・
 雪のお正月も、最近は、珍しいですね。 ・・・
posted by いさはやせいかつ   at 08:47 | Comment(0) | 行事・出来事

2014年12月06日

「タロージローのカラフト犬」の歌が、話題になっているようですね。
新作品がテレビで、放映されたのは、2011年10月だったようです。

昔の歌の歌詞を知りたい方がいらっしゃるようですので
そのときのブログを もう一度、投稿致しましょう ネ。

  ・ ・ ・ ・ ・ 

タロー・ジローのカラフト犬
テレビドラマ 「 南極大陸 」

「 戦後日本復活への愛と命の感動物語〜
56年前に起きた犬と人間の奇跡が今、動き出す 」

番組が始まると、自然に 歌っていました !!

「 タロー・ジローのカラフト犬 」

何十年振りでしょうか ?
覚えているものですね !

歌いながら 東芝レコードを
押入れから 取り出してきて、息子に見せました。

 唄 三浦尚子 東芝シンギング・エンジェルス
しばさきそうすけ作詞 豊田 稔作曲・編曲


小学生の頃の映画が、 浮かんできました。


雪と氷の南極に
取り残されて幾月も
きびしい寒さと闘って
観測隊の小父さんの
帰って来るの待っていた
タロー・ジローのカラフト犬


本当に淋しかったでしょう
吹雪の時や暗い夜
父さん母さん待っている
日本のお家が恋しくて
どんなに泣いたことでしょう
タロー・ジローのカラフト犬


元気でいると知った時
観測隊の小父さんも
ぼくらも泣いたよ嬉しくて
丈夫でいるのよこれからも
日本の国へ帰るまで
タロー・ジローのカラフト犬


あの 吹雪の音の伴奏が 大好きで ね〜 !

ポータブルの蓄音機もあるのですが
ドラマに観いってしまいました。

何十年も、動かしていませんね !! 動くのでしょうか !

  ・ ・ ・ ・ ・ 

レコードは、針が傷んでいると、レコード盤を傷めますので、
針を、買ってからでなければ、聴くことができないですね ・・・
posted by いさはやせいかつ   at 13:49 | Comment(0) | 行事・出来事

2014年12月05日

最近、このブログへの皆さまの
「タロージローのカラフト犬」への読み込みが増えています。

私が、小学校の頃、南極観測隊が、昭和基地を造り、
そこへ、犬ぞりを引くために、カラフト犬を連れてゆきました。

隊員たちが引き上げねばならなくなり、
やむなく、犬たちを、置き去りにして、日本へ帰ってきました。
残された犬たちのうち、生き残った2匹の犬、
タローとジロ―は、兄妹でした。
「おそらく、お互いに助けあって生活をしていたのだろうと、
思われます。」  とお聞きしました。

小学生だった私は、父母と共に映画を見ました。
また、レコードを、買ってもらいましたので
毎日、聞いていました。

また新しい映画がテレビで放映されましたので
また、新たな気持ちで、鑑賞致しました。
  昨年でしたね ・・・ !!

今また、懐かしく 思い出しています。
posted by いさはやせいかつ   at 14:34 | Comment(0) | 行事・出来事