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2014年05月20日

《飽きこそ転機》 今週の倫理871号

カレーライスとカツライスだけをいつも昼食に出している洋食屋があった。
この店のメニューはこれだけだった。
学生のN君は、この二つを交互に食べてきたが、いつも同じでつまらない、
とうとう飽きてしまった。
「こうなったら、自分で何か作るしかない」。
N君はそう結論づけて、その年の二月、親しくしているその店の調理場に入らせてもらい、
自己流の料理を作ってみた。
 皿盛りのご飯を丼に移し、その上にカツライス用のカツをのせ、
メリケン粉をといてソースを煮つめた汁をかけた。
そして青エンドウを上にあしらってみた。
食べてみると、なかなかいける。

「こりゃ、なんというのか、うまいぞ」とまわりからいわれ、
N君は、「うーん、そうだな、カツ丼だ」と即座に答えたのだが、
この「カツ丼」は大当たりで、たちまち銀座や日本橋の食堂でも作る店が続出し、
ほどなく大阪にも広がったそうである。カレーライスとともに、
もっともポピュラーな国民食となっているカツ丼は、
一九二一年にこうして生まれ出たのであった(『早稲田大学史』による)。

 ここで注目したいのは、従来のカツライスに飽き飽きしたとき、
新しいカツ料理が作られたということだ。
同じものを見たり、聞いたり、食べたり、いろいろやっていると、
飽きがくる。だがそこにこそ、その飽きを活用するか、
あるいはそのままで過ごしてしまうのか分かれ道があるのである。
 同じようなカツライスを毎日食べていても飽きない人があるだろう。
あるいは飽きていても、我慢して食べている人もあるだろう。
Nさんの場合は、飽きたのである。何か新工夫はできないものか。

そうした単純な考えの中に、ヒントがひらめいたのである。
 発明とか発見とか、そしてまた広い意味においての成功などというものは、
こうした飽きや苦難の中から生まれてくることが多い。
ぼんやりと飽きの中に、ただ飽いてアクビをしているだけでは改良改善はできない。
向上もない。

職業に飽きがきたらどうするか。「飽きずにやるのが商いだ」という人もあるが、
転職もひとつの道であろう。しかしたんに飽きっぽい性格ではどの職業を選んでも、
飽きがきて、次から次へととどまることがない。
自分がやらねばならない今の仕事、それに飽きがきた。どうしたらよいか。

そのときこそ進歩か、退歩か、それとも現状維持のままか、
それらを決する重大な分かれ道に立っているのである。
もし飽きがきたら、その中に前進の道ありと心得て、
その仕事をよく見、よく感じ直すことだ。
「アーアー、また掃除か」と思うようだったら、
そこにこそ進歩改善の妙法ありと気持ちをかえ、気をつけてのぞむ。
すぐにその妙法は得られなくても、そう気分をかえただけでも楽しくなる。

全く同じことを続けてやる一貫不怠の道のほかに、
こうした飽きを活用する道も厳然として存在するのである。
単行本『常に活路あり』より)
posted by いさはやせいかつ   at 18:44 | Comment(0) | 名言・格言

2014年05月15日

《心を磨く三十一文字》言葉の力 今週の倫理870号

短歌は、五七五七七の三十一文字からなる、日本の伝統文化の一つです。
喜びも悲しみも偽らず、誇張せず、そのまま、ありのままを言葉で表現します。
短歌づくりを始めて、十年が経つMさん。
結婚後、四人の子供に恵まれたMさんは、子供の成長を歌に詠んできました。
幼子のつかまり立ちの練習にアイロン台はほど良い高さ
これは、生後十カ月でつかまり立ちを覚え始めた三男の愛くるしい姿を詠んだ歌です。
ライダーに変身をした幼子は強くなったと兄に歯向かう
三歳の次男が、仮面ライダーの変身ベルトを装着し、兄と触れ合う姿を表現しました。
幼子の父の日に書いた似顔絵は点々のヒゲと右手にビール
当時五歳だった長女からの贈り物。その嬉しさを詠んだ歌です。 
幼子の背中で踊るランドセル
春の日差しにキラリ輝く小学校に入学した長男。
弾む足取りで、真新しいランドセルを背負い通学する姿を表現しました。
家庭内の日常を短歌に詠み続けて、
Mさんは、子供一人ひとりの個性を実感できるようになりました。
「その個性を伸ばしてあげることこそが親の役目だ」と、Mさんは感じています。
*倫理研究所が行なっている文化事業の一つに、「しきなみ短歌会」があります。
倫理運動の創始者・丸山敏雄が、昭和二十一年三月に創立しました。
現在、「しきなみ短歌会」の支苑数は、全国で三四五。
月刊誌『しきなみ』には、毎月五千二百名近くの投稿者があり、
日本の短歌結社誌では、出詠数トップとなっています。
個性の発揚、生活の浄化には、種々の道があるであろう。
ここにわれらは、短歌を得た。
短歌は、われらの祖先が、最初に築きあげた芸術であり、
今日残されて居る初期のものでも、すばらしい高さに達している。(中略)
文学の形式として、このような長い生命をもっているものは、外にないといわれる。
実にわが国はえぬきの、また独得の平明簡素な詩形である。
(丸山敏雄『作歌の書』より)
短歌を通じて、生活の浄化と個性の発揚を目指すところが、
しきなみ短歌の大きな特色です。
短歌を詠むにはまず「じっと見る」ことから始まります。
仕事で忙しく、子供たちと接する時間も少ないMさんでしたが、
短歌をきっかけに、子供たちをじっと見るようになりました。
「毎日の生活を改めて見直してみると、そこに美しさが満ち溢れていることがわかる」
と丸山敏雄は説いています。
短歌づくりを機に子供たちの成長を知り、
ありのままの良さを見つけられるようになったMさん。
家族に限らず、周囲の人や物に対しても、感動をしたり、
感謝をしたりすることが多くなったといいます。
短歌は、ありのままを言葉で表現することで、自らの心を磨く実践なのです。
posted by いさはやせいかつ   at 09:40 | Comment(0) | 名言・格言

《間に合った父親への手紙》今週の倫理869号

N氏の父親は、戦後の混乱の中、二十代で建設会社を立ち上げました。
ワンマン経営で、家族を省みず、人から何を言われても我が道を突き進んだ父。
N氏は、そのような父に対して、強い憎しみさえ抱いていました。
N氏が中学校三年生の時、母親が置手紙を残して失踪。一年後に離婚調停が成立して、
兄弟も離れ離れになりました。
成人したN氏は、父親の口利きにより、地元のゼネコンで働きます。
父親からのラブコールにより、三十三歳の時に一度、父の会社に戻りました。
しかし、折り合いがつかず、四年後には退職して別会社を創業しました。
〈父親のようなワンマン経営は絶対しない〉という決意で臨んだ独立でしたが、
経営はうまくいきません。
創業九年目で大病を患い、退院すると、四人の社員が次々と退職。
健康には自信があったN氏でしたが、心も身体もボロボロの状態でした。
そのような時に出合ったのが、純粋倫理です。
同業者のK氏の会社を訪問した際、そこで目にした朝礼が、
これまで見たこともない活力溢れる朝礼だったのです。
「これだ。俺の求めていたものはこの朝礼だ」と、N氏は倫理法人会に入会しました。
活力朝礼が浸透していくとともに、職場に少しずつ活気が生まれ、
N氏も倫理の学びを深めていったのです。
〈俺の人生はこれまで父親に振り回され、苦しめられ、悲しい思いばかりだった〉。
長年そんな思いに囚われてきたN氏でしたが、
倫理を学んで、薄皮をはがすようにわだかまりは溶けていきました。
ある時、N氏は富士高原研修所で開催されている「経営者セミナー」に参加しました。
講座の中で、両親へ手紙を書く時間が与えられました。
N氏の胸の奥底からは、父への葛藤とはまったく別の言葉が次々と湧き上がりました。
セミナーから帰宅をすると、父が癌の宣告を受け、余命二カ月であることを知ったのです。妻の提案で、癌に効くといわれる温泉に、両親を連れて出かけました。
夕食のお膳が運ばれた時です。
〈今伝えなければ、こんなチャンスは二度とない〉と、
N氏は勇気を出して手紙を読み上げました。
会社を継げなかったお詫びと、四年間仕事を教えてもらったお礼を告げ、
「親父は俺の恩師で、職親です。心から感謝しています」と言葉に出して伝えたのでした。
父はその言葉に泣き崩れました。
ご馳走がまったく喉を通らないほど泣いて、そのまま二人で温泉に入りました。
生まれて初めて父の背中を流しながら、親子でいろいろな話をしました。
一カ月後、父は安らかに息を引き取り、柩に感謝の手紙を入れて父を見送りました。
あれほど父を嫌っていたのが、最後には、感謝の気持ちで見送ることができたN氏。
何より、直接言葉で思いを伝えられたことで、
父亡き後も、太い絆で結ばれていることを実感しているといいます。
会社は現在好調で、長男も右腕となってN氏を支えています。
posted by いさはやせいかつ   at 09:32 | Comment(0) | 名言・格言

2014年04月22日

「 ことば食堂へ ようこそ! 」文化庁

「ことば食堂へようこそ!」では、
2000年〜2012年度の文化庁「国語に関する世論調査」を基に、
慣用句等を本来の意味で理解している人と、異なる意味で理解している人で、
コミュニケーション上の齟齬(そご)が生じる場面や、
異なる意味が生まれた背景等を動画で紹介。
各話は約4分で、台本や解説についてもサイトに掲載している。

 第1話の言葉は「役不足」。
本来の意味は「本人の力量に対して与えられた役目が軽すぎること」だが、
同調査によれば「本人の力量に対して役目が重すぎること」
と理解している人の方が多いという。
第2話以降は「煮え湯を飲まされる」「敷居が高い」「奇特」「気が置けない」
などが予定されている。

  ・ ・ ・ ・ ・

「 役不足 」 は、私も、役に対して、自分の能力が 不足している、
と 思っていました。
最近、日本語が 乱れている と思っていましたが、
自分自身も 言葉の本来の意味を よく知らないようです。
posted by いさはやせいかつ   at 12:48 | Comment(0) | 名言・格言

2014年04月19日

松下幸之助 氏 フェイスブック 4/19-2

一流の人材ばかり集めると 会社はおかしくなる。

世の中、賢い人が揃っておれば

万事上手くいくというものではありません。

賢い人は、一人か二人いればたくさんです。
posted by いさはやせいかつ   at 18:53 | Comment(0) | 名言・格言


松下幸之助 氏 フェイスブック4/19


賛成する人にも感謝、反対する人にも感謝。
posted by いさはやせいかつ   at 18:49 | Comment(0) | 名言・格言

《父親からありがとう》 今週の倫理868号
四月のテーマ 言葉の力

都内で中学校の校長をしていたY氏は、A中学校への赴任が決まりました。
その学校は荒れていて、まともに授業ができる雰囲気ではありませんでした。
不登校の生徒にも、教師がきちんと対応していない状況でした。
山積する問題に、〈大変な学校に赴任してしまった〉と思ったY氏。
実は、家庭の中にも問題が生じていたのです。
家族は五人、妻とはほとんど会話がなく、年頃の子供たち三人とも、
親子の会話らしい会話はありませんでした。
ある日、倫理を学んでいる知人とばったり出会い、講演会に誘われました。
テーマは「よみがえるか家庭」というものでした。
家庭の不和を抱えていたY氏は、講演会に参加しました。
参考になることはいくつかありましたが、その中でも、
「『ありがとう』の力」という話が印象に残りました。
家に帰ると、妻から「○○さんから電話があった」とつっけんどんに言われました。
いつもなら、「うん」や「ああ」と返すところです。Y氏は講演を思い出し、
「ありがとう」と返事をしました。
食事の時も、「取り皿をくれるかい?」「はい」「ありがとう」。
「お醤油とって」「どうぞ」「ありがとう」と、必ず添えるようにしたY氏。
たった一言ですが、この日から夫婦の関係に変化が生じました。
少しずつ夫婦の会話が増えてきたのです。
それまでは一方的な言葉の投げかけだったのが、
「ありがとう」と受け止めることで、夫婦の心の距離が縮まったのかもしれません。
次第に妻の表情が明るくなり、子供たちにも、笑顔が多くなってきました。 
もしY氏が、講演の後、「今日は良い話を聞いたぞ。
これから『ありがとう』と言えよ」と家族に押しつけていたら、
どうなっていたでしょう。
会話どころか、家庭の雰囲気はますます暗く、
ギスギスしたものになっていたはずです。
良い話を聞いて、それを実際に実践したところから、家族に変化が生まれました。
そして、父親の言葉一つが、家族を大きく変えることに驚いたY氏でした。
Y氏が赴任した中学校の雰囲気も、薄皮をはがすように変化していきました。
赴任当時は〈どうしたら子供たちが変わるか〉と考えていたY氏ですが、
〈まずわれわれ教師が変わらなければいけない〉と、毎週、職員会議を開くようにしました。また、不登校の生徒の家には、Y氏自ら足を運んで声をかけるようにしました。
ほかの先生も、根気よく生徒の話を聞き、アドバイスを送るようになりました
。翌年、三年生全員が進学や就職を決めて、無事卒業式を迎えることができたのです。
言葉の力は存外に大きいものです。また、発する人の立場によって、
その影響力は変わります。
特に家庭や職場で上の立場の人が発する言葉には、場を一変させるほどの力があります。
プラスの言葉で、家庭や職場を明るくするようにしたいものです。
posted by いさはやせいかつ   at 18:42 | Comment(0) | 名言・格言

2014年04月16日

《高らかな声で》 今週の倫理867号
四月のテーマ 言葉の力

夫婦が暗い顔で向かいあっている。二人ともものをいう元気はない。
物価の値上がりにつれて、商売もおもわしくなく、家計は苦しく、
すべてを語りつくして、なおよい智恵も浮かばないのであった。
妻は帳簿をとじ、ペンも投げだした。夫はやたらにタバコをふかすだけ。
柱時計の音が、物淋しく聞こえるだけである。
そのとき、ガラリと裏の玄関の戸がひらいた。
「ただいま…」と明るい、男の子の声。
近くの学習塾に勉強にいっていた長男が帰ってきたのだ。
夫婦の表情に、さっと喜色が走る。
ふすまがガラリとあき、半ズボンに長靴下の愛くるしい顔がとびこんできて、
コタツにもぐりこむ。
「お父さん、お母さん、いいことあるよ」。
夫婦はさっきまでのふさぎこみはどこへやら、ホッと救われたような笑顔。
「なんなの? ね、なにが、いいことなの」と母親。
子どもはにやにやして、「あのね、先生がいってたよ」
「塾の先生かい? なんだって。早くいいなよ」と父親。
「とてもよくはたらくってさ」
「だれがよく働くんだね」
「お父さんと、お母さんだよ。先生がこの前お店の前を通ったんだってさ。
そしたら、お父さんもお母さんも、とてもよくはたらいてたってさ。
それだけだよ。ほめられたから、いいことじゃない」
 子どもはひやかすように、親の顔をかわるがわる見上げるのだった。
親たちは、愕然としたように顔を見あわせて、心うたれたものを、
たがいに探しあてるような眼ざしをかわすのだった。
「ただいま」という明るい言葉にまず救われ、
「よく働く」とほめられた言葉から〈そうだ、この苦境をきりぬくためには、
けっきょく働きぬく以外に道はないのだ。可愛い、わが子のためにも
よし、これから夫婦心をあわせて働くのだ〉と決意をしたのは、
この晩からだったのである。
そして後に、この夫婦の店はしだいにたち直っていったのである。

 神は人間に言葉を与えた。言葉は生命力のあらわれであり、
心の表現にほかならない。
人や物を悪くいったり、のろったりしていると、そのようになる。そればかりか、
いずれそうした言葉は自分に返ってくる。人をほめたり、
物にたいして愛情のある言葉をかけてやっていると、相手がそのようによくなり、
それらはけっきょく、自分自身に返ってくるようになるのである。
 せっかく仕入れてきた商品にたいして、頭から、
「こんなもん、うれるもんか」などとくさしていると、なかなか売れない。
ところが、「とにかく仕入れてきた品だ。これはこれでよいのだ。
どうかお客さんの役に立っておくれ」と言葉をかけてやっていると、
そのうち売れるようになるのである。

こちらの心の動きは、物いわぬ品物や機械などにもつたわる。
目にこそ見えないけれども、彼らとて耳をすませて聞いている
と思って差しつかえないほどである
posted by いさはやせいかつ   at 17:52 | Comment(0) | 名言・格言

2014年04月09日

松下幸之助 フェイスブック 4/9

志を立てるのに、 老いも若きもない。

そして 志あるところ、 老いも若きも

道は必ず開けるのである。
posted by いさはやせいかつ   at 19:53 | Comment(0) | 名言・格言

2014年04月04日

《成功した時こそ終わりを慎む》
三月のテーマ 謙虚に生きる 今週の倫理866号

日本武尊(ヤマトタケル)の
伝説に、次のようなエピソードがあります。
東の神々を平定するよう命じられた日本武尊は、伊勢に立ち寄り、
叔母ヤマトヒメより神剣「草薙の剣」等を拝受し、遠征に出かけた。
東方の国々の神を平定し、尾張に戻った日本武尊は、己の強さを誇示する。
「伊吹山の神は素手で討ち取る」と草薙の剣を妻に預け、伊吹山に向かった。
ところが道中、毒気にやられ、三重の地にて命を失うこととなる――。
 日本武尊は、神威の象徴である剣を携行して、神の加護を受け東征し、
成果を収めることができました。
しかし、そのことを忘れ、己の力を誇示したい欲望から、
結果として、命を落とすことになりました。
数多くの解釈がある伝説ですが、この話から、
今も昔も人の心は変わらない面があることを教えられます。
私たちは、先祖や両親から徳を受け、周囲から様々な支援をいただいていながら、
成功するとつい自分の力のように勘違いしてしまいます。
感謝の心を忘れ、己の我を通すようになりがちです。
人間力を向上させていく要素はいくつもありますが、
中でも「謙虚さ」は不可欠な態度として挙げられるでしょう。
いかに謙虚な心を保っていけるかは、人間にとって、永遠の課題かもしれません。
*「謙虚」という言葉を辞書で引くと、「控えめでつつましやかなさま。
自分の能力・地位などにおごることなく、素直な態度で人に接するさま」
(『大辞林』)とあります。
また、「謙」という字には、「つつしむ、うやまう」という意があります
(『字通』白川静)。
この「慎む(つつしむ)」ということは、倫理実践の心得でもあります。
倫理運動の創始者・丸山敏雄は、実践における十の要諦として、
その最後に「慎終」を置いています。「終わりを慎む」ことが、
実践の基本であり、成功の要件であるというのです。
物事がうまくいったり、目的や目標を達成すると、
人は得てして気を緩めてしまいがちです。
しかし、本当はまだ完了してはいないのです。
慎終とは、後始末であり、「最後に立派な終止符をポンと打つこと」です。
 整理整頓をする、丁寧に清掃をする、使った道具の手入れをし、機械に油をさす、
パソコンのデータを整理する、会計の収支を明朗にして、反省点があればまとめておく、
お世話になった方へ連絡を兼ねて礼状を書く、挨拶回りをする、
神仏に祈願したなら謹んで奉告する――など、さまざまな後始末があります。
仕事が終わった後、成功した後こそ心を緩めず、感謝を込めて後始末を行ない、
物事にけじめをつけていきましょう。
特に、リーダーから率先垂範して後始末を行なうことから、
職場環境にメリハリが生まれ、次への飛躍へとつながっていくのです。
慎んで終わる「慎終」の実践を積み重ねて、
謙虚な心を日々深めていきたいものです。
posted by いさはやせいかつ   at 13:16 | Comment(0) | 名言・格言