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2014年11月18日

今週の倫理899号

十一月のテーマ 実践の要点
《短気な社長の楽しい実践》

 不動産会社を経営するN社長は、元来短気な性格でした。
自分の都合に合わないと、キレて人を責める癖を持っていました。
面と向かって人を責めることはないものの、
プライベートな空間では暴言を吐いていたのです。
「ばかやろう! 死んでしまえ! くそっくらえぇ」。
それが自分にとっての気晴らしでした。
ところが、暴言を吐けば吐くほどイライラして、
キレる回数がだんだん多くなってきました。

そんな時、倫理法人会のセミナーで「発する言葉には力がある」と学びました。
何気なく発する言葉にも力が宿っている、
その力が周囲に影響を及ぼし、その言葉通りの人生を歩む…など、
自分の言動を改めて省みる内容でした。

これまでは、セミナーでこうした話を聞いても、
実行に移すことはなかったN社長。
しかし、この時は違いました。息子の存在です。
 父親が日頃発する暴言が、まだ幼い息子に悪影響を及ぼすかもしれないと思うと、
変わるのは今しかないと決心しました。
次の日から意識して実践を試みますが、数日経つと、イライラが募ってきます。
なぜなら声に発しないだけで、心の中は、周囲への責め心だらけだったからです。

どうしても溢れてくる負の感情。そこでN社長は考えました。
〈マイナスの言葉は急には止まらない。
ならば、プラスの言葉をたくさん発するようにすれば、
差し引きされるのではないか?〉
ある日、妻と義母を乗せて車を運転していた時、前に車が割り込んできました。
「なんだ、馬鹿やろう!」と思わず口をついてしまった後に、
ハッとして「ありがとうございます、ありがとうございます」と言うと、
車内の二人から大笑いされました。

その出来事から〈実践は楽しく取り組めばいいんだ〉と気づいたN社長。
実践に拍車がかかり、明るい言葉を使うようになりました。
 三カ月経つ頃、自分の中の変化を感じ始めました。
イライラすることがなくなってきたのです。

 N社長は、「暴言を吐くと、自分の中に、キレやすい負の回路ができる。
よい言葉を発するとプラスの回路ができるのではないか」
と自らの心の変化を振り返ります。 
実践の威力を実感し、
今は「物を大切にし、身の回りを整理整頓する」実践に派生して、
経営環境も大きく前進しています。

純粋倫理は、理論だけではなく、実践が大切だとわかっていても、
なかなか行動に移せない人がいます。
そんな時、背中を押してくれる要因は何でしょうか。
N社長の場合は、「誰かのために」という思いが実践の大きな動機になりました。
また、自己革新の意欲が強く、問題意識の高さから、
自分に必要な実践に気づくことができました。
さらに、途中段階での他人からの承認や賞賛が、継続の弾みになったのです。

人間の細胞は三カ月で入れ替わるといわれます。
N社長に倣ってまずは百日、三カ月を目安に、
一つの実践に取り組んでみませんか。

一般社団法人 倫理研究所法人局
posted by いさはやせいかつ   at 11:02 | Comment(0) | 名言・格言

2014年11月14日

今週の倫理898号
十一月のテーマ 実践の要点
《結果を考えぬ》

倫理の実践をしても、なかなか思うような結果が得られない、
と嘆く人は多いようです。
「社長が率先してトイレ清掃をすると、社員も進んで清掃をするようになった」
という体験を聞いたとしましょう。
ところが、いざやってみても、社員が変わる気配はありません。
〈これだけやっているのに、なぜ良くならないのだろう〉と思ってしまいます。

これは、「こういう実践をすればこうなる」という理屈に
頭が支配されているのです。
倫理運動の創始者・丸山敏雄は実践の要件として、
「結果を考えぬこと」を説きました。
 結果を考えぬ 予想せぬ。
うまく行くだろうとか、あぶないとか、
どうかしらんとか、やれるかしらんとか、
うまく行ったら大もうけだとか、
これをやったらえらい名誉だとかいう、
一切の結果について思いをもたぬ。(『実験倫理学大系』より)

物事を行なう上で、予測や期待を持たないようにすることは、
一見すると難しいことのように思えます。
しかし、今この時、目の前のことに無欲至誠で取り組む時、
実践は、思いがけない結果をもたらすものです。

自転車部品メーカーを経営するM氏の会社には、
仕事の要領が悪い年配社員がいました
電話応対で自分の会社の名前を忘れてしまったり、
FAXの送信先を間違えることも度々ありました。
M氏が仕事を任せる度に、ミスをする姿が目に入ってきます。
〈いつ辞めさせようか〉と、それだけを考えていた氏は、
倫理法人会の幹部研修で訪れた講師に、何気なくその話をしました。
すると、「うちの会社も同じですよ」と言われたのです。

 続けて「Mさん、その社員を絶対に辞めさせてはいけませんよ」
と助言されました。
〈とても無理だ〉と思いましたが、
「約束してください」という講師の言葉に
M氏は「わかりました」と返事をしました。

その後M氏は、その社員をとにかく褒めて、辞めさせないように努めました。
ところがある日、その社員から突然「辞めさせてください」と言われたのです。
以前のM氏ならすぐに了承をしていたところです。
しかし、その時は、辞めてもらっては困る、
会社にいてほしいと本心から引き止めました。
それでも社員の意志は変わりません。
盛大な送別会をして、その社員を送り出しました。
 半年後、会社を辞めた社員から「再就職しました」との電話がありました。
新しい就職先はM氏の会社の得意先でした。
しかも、部品を受注する担当者として仕事をしているというのです。

その後、仕事のパートナーとして、とてもよい関係を築くことができました。
そして、このことが、M氏が社員への見方を改めるきっかけとなったのです。

 先のことを考えず、私欲を捨て実践に励むことによる「心のありよう」が、
まさかと思うような「結果」に結びつくのでしょう。

一般社団法人 倫理研究所法人局
posted by いさはやせいかつ   at 16:54 | Comment(0) | 名言・格言

2014年10月29日

《夫が先 経営者が先》十月のテーマ 経営者も家庭人
今週の倫理895号

男性経営者の皆さんは、奥様に呼ばれたら、
「ハイ」と元気な返事をしておられますか。
ご子息に呼ばれた場合も、同様に返答をしているでしょうか。
さらに、空返事ではなく、頼まれたことは即、実行に移していますか。
では、次のような場合はどう対応しているでしょう。
1 わが家の便所にトイレットペーパーの芯だけが置き去りにされていた。
2 玄関の靴がバラバラで、今にも靴が逃げ出しそうな状況に出くわした。
3 洗面所に娘が落とした髪の毛が散乱していた。
4 夕食後の台所に茶碗がそのままになっていた。
5 トイレや風呂が汚れていた。
6 家庭ゴミや資源ゴミが溜まっていた。

 今週おすすめしたいのは、こうした場合、
家庭内において誰がやると決めるのでなく、
気づいた人が、気づいたことをさわやかに的確に処置するという実践です。  

例えば、トイレットペーパーの芯が残っていたら捨てる。
靴は揃える。洗面所の髪の毛はティッシュで拭き取る。食器は洗う。
汚れているところは掃除する。ゴミは出す。
そして、心を曇らせることなく、
実行後は何事もなかったように朗らかに過ごすことです。

「誰が汚したんだ?」とか「なぜ誰もやらない」と、
犯人探しをしたり、責めたり、嫌々行なっては意味がありません。
もちろん、家庭内での約束事として役割を確認し合ったり、
躾として子供を教育することは必要です。
とはいえ、すぐに改善できない場合もあるでしょう。
その時は、自身の倫理実践のチャンスと捉え、果敢に挑み続けたいものです。
 こうした取り組みは、即行の実践、
順序を正しく行なう実践と捉えることができるでしょう。

 順序については次の通りです。
言うまでもなく、男女は同等であり、同権であり、平等な存在です。
相対した同士が合一することで生成発展(うみいだし)はなされます。
ここで大切なのが、順序(先後)を守るということです。
 親である前に、先ず子である「子の倫理」をまもる。
父母の意見が異なる時には父に従う(父が先)。

 親の子にして、後に妻の夫。
故に妻と親と意見の異なるときは、親に従う。
そして、妻の夫にして、子の親である。
(『丸山敏雄全集』八巻「夫の倫理」)

 先が偉くて後が卑しいということはありません。
先後の秩序を守ることが幸福・発展の鍵であることを確認したいものです。
 会社においては経営者が先、従業員が後です。
ということは、挨拶をするのも経営者が先ということになります。
これを先手の挨拶といい、経営者と社員の一体感を生む清き実践です。

 夫婦においては夫が先、妻が後です。
ゆえに、挨拶をするのも夫からであり、
親愛の情に燃えてやさしくする夫の先んじた実践によって、
和やかな家庭は築かれていくのです。

 今週は、男性目線で記しましたが、
女性の方もこれに準じて応用してください。

一般社団法人 倫理研究所法人局
posted by いさはやせいかつ   at 17:29 | Comment(0) | 名言・格言

《責任のがれはやめよ》十月のテーマ 経営者も家庭人
今週の倫理893号

 人間にとって、もっとも大切なのは、
自分が仕事を通じて、健全な社会の建設のために、どれほど貢献しているか、
ということである。
とくに父親は、この道をまっすぐに進む必要がある。
 父親がそうした気持ちで、ひたむきに働くとき、
その状態は妻である母親に影響し、わが子にも反映する。

 父親がフラフラしていると、子どももフラフラするのである。
父親の心意や行動は子どもに反映する。
それは共にいる時間の長短に関係ない。
 親と子は目に見えないところで深く強くつながりあっているのであるから、
子どもがみていないからといって、
子どもに教えるべきしつけと反対のことを父親がしていると、
それを目撃していないはずの子どもが、
父親と同じことをいつのまにか行なっている。

 わが子は見えないところで自分を見ている、わが子のいないところでも、
わが子をしつけることができるという信念ではたらくのがほんとうだ。
 またたとえ、仕事で忙しくわが子と接する時間が少なくても、
たったひとこと、子どもに「こうしなさいよ」と言ってやるだけで、
ピンと子どもに響くのである。
いつも一緒にいて、くどくどと同じことを繰り返して言っているだけがしつけではない。
百の説教より一つの実行。百の注意より一つのすすめ。
こういったことの方が、効果は大きいのだ。
父親はほとんど実行しないでいるくせに、
母親のせいにして妻に子どもを叱らせるようなことは、
もっとも下手な教育である。

 子どもがほんとうに社会に尽くし、
社会のためになる働きをする人間になるかどうか。
他人になるべく迷惑をかけないような、しっかりした人間になるかどうか。
その教育の責任の半分は父親にある。

 いや半分どころではない。
すべての責任は父親にあると自覚するのが、まことの父親の愛情である。
 妻の欠点のすべてを抱き、暖かくわが家をつつむのが夫の愛情だ。
「いっさいの責任は自分にある」と大手を広げて受けて立つ。
 そこに一家の愛和の基礎がある。
こうした愛情をもって、職場においても、いつも子どもが見ているぞとの信念で働く。
それがほんとうの父親なのである。

 夫(父親)としては妻(母親)に責めを負わせないという度量と確信で、
力いっぱいその日を働きぬく。
そこにあふれるような喜びが、しかも高く、清らかな楽しさが湧いてくるのではないか。
そして子どものすること、なすこと、すべてわが責任であるから、
「今日もしっかり勉強し、そして元気いっぱいに遊べ」と、
自分の仕事にうちこんでゆく。
そこに何ともいえぬ生活の歓喜がにじみ出てくるのだ。
 ドンと来い! などという真骨頂は、そうしたところにある。
 世の父親たる者、もっとこの人生を力いっぱい活躍し、
生きぬいていこうではないか。

(単行本『あなたは生命の元を見つけたか』より)

一般社団法人 倫理研究所法人局

posted by いさはやせいかつ   at 17:09 | Comment(0) | 名言・格言

2014年10月20日

《朝一番の波を捉える》九月のテーマ 波に乗る
今週の倫理892号

秋は祭りの季節です。
日本人は昔から、秋の収穫シーズンに「五穀豊穣」「大漁満足」などを祈願し、
田畑や山、海からの幸に感謝を込めた祭事を執り行なってきました。
その地域の形式に則り、踊りや歌に願いを託します。
同じ共同体で暮らす人々が、一年間の感謝を捧げながら、
「ワッショイ、ワッショイ」「やっさ、やっさ」などと掛け声を合わせて、
神輿を担ぎ、町内を練り歩きます。

この神輿の重さは、一度でも担いだ経験のある人ならよくご存知でしょう。
神輿を担ぐのは容易ではありません。
重いものでは一トンを超える神輿もあるようです。
しかし、不思議なもので、声を揃え、息を合わせて担ぐことで、
あれほど重く肩や掌にのしかかっていた負担が、
嘘のように軽くなるものです。
祭りの見せ場ともなれば、異様な盛り上がりの中で、
神輿と担ぎ手が一体となったような感覚を覚え、
見ているものも共感の輪に巻き込んでしまいます。

一体になるのは、神輿と担ぎ手、観客だけではありません。
神輿や山車には、祝詞奏上と共に「御魂入れ」という式が執り行なわれます。
この時、ご祭神と共にご先祖様が招かれます。
つまり、今を生きるわれわれと、あの世の神様、ご先祖様が、
祭りを通して一体となるのです。

まさに祭りは、目に見えない大自然のリズムと一致し、
命の波に乗る如き営みといえましょう。
 「波に乗る」という慣用句には、時の流れに乗る、
時勢にうまく合って進展する、勢いに乗る、調子に乗るなどの意味があります。
皆様は、経営者として、どのような波に乗っているでしょうか。

 通常、経営者として必ず意識をしなければならない時間の区切りとして
「今期」「一年間」といった捉え方があります。
一年間の目標を達成するには、当然、半年ごとの決算が関わってきます。
それをクリアするには一カ月ごとの目標があり、
一カ月の前提には一週間という区切りがあります。
そして、この一週間を作り上げるのは、
今日一日をどのように過ごしたかということによります。
つまり、一年間という長いスパンで波に乗るのは、
突き詰めていけば、今日一日の小さな波に乗ることなのです。

倫理法人会では、一週間に一度の「経営者モーニングセミナー」の会場に、
「朝起きは繁栄の第一歩」という標語を掲げています。
「朝起き」とは、目が覚めたらサッと起きることです。
朝起きるということは、「気づき」であり、
「インスピレーション」「直感」とも結びつきます。
「気づき」とは大自然からのメッセージであり、
これも波の一種として捉えることができるでしょう。

今日という一日は朝から始まります。
その朝のスタートをどのように切るのか。
いつまでも惰眠を貪ったり、二度寝していては、
せっかくのチャンスを取り逃がしてしまいます。
気づきの波に乗って、一日の良い波を作り出し、
人生の波に乗ろうではありませんか。

  一般社団法人 倫理研究所法人局
posted by いさはやせいかつ   at 16:59 | Comment(0) | 名言・格言

2014年10月18日

《地球のリズムを受け止める》九月のテーマ 波に乗る
今週の倫理891号

 九月は防災月間です。
地震などの自然災害に対する備えを改めて見直し、点検する月です。
地震は「プレート」と呼ばれる岩盤のズレにより発生する、といわれています。
地球の表面に存在する異なるプレートがぶつかったり、
すれ違ったり、片方のプレートがもう一方のプレートの下に沈み込むなどして、
強い力が働いて発生するというメカニズムです。

地震が多く発生する地域は、
このプレート同士が接しているところだと考えられています。
日本は、多くのプレート境界に位置するため、
他国に比べて、地震が多く発生してきました。
その度に力と心を合わせ、手に手をとって再建してきた歴史が
日本の歴史でもあります。

そうした経験上から、日本人は古来より自然に畏敬の念を持ち、
災害に対する数多くの教訓や心構え、対処法が生まれ、
伝えられてきました。
多くの自治体で採用され、掲げられている「地震の心得十カ条」も
その一つでしょう。
長年の研究により、このプレートの変動には、
数百年単位で一定の周期がある、といわれています。
地球に生命があるとすれば、プレートの動きに端を発する地震もまた、
生命の鼓動であり、命の営みであり、
地球そのものが持つリズムといえるでしょう。

 私たちは、地球で生活する以上、
このリズムから逃れることはできないものです。
地球という大きな命の営みの中で、
自然災害は必然的に起きてくるものだとすれば、
肯定的に、安らかに受けて、順応するしかありません。

地球の大いなるリズムに反発することなく、受け入れるためにも、
先人が体験によって得た智恵を大切にして、
力を結集して、手立てを取ることが大切でしょう。

その手立てとは、日ごろの備えにほかなりません。
?突発的な事象にもパニックに陥らないような「心の備え」を持つこと。
?生きていく上で必要最小限の物を準備し、
節目にはしっかりと確認する「物の備え」を持つこと。
?防災訓練に積極的に参加したり、
離れ離れになった家族や社員とどこで落ち合うのかを決めておくなどの
「行動の備え」をしておくこと。

これら「三つの備え」があるからといって、
もちろん万全というわけではありませんが、
少なくとも災害の際の行動、また災害の後の対応は、
備えのあるなしで大きく異なるしょう。

 東日本大震災から、すでに三年半が経過しました。
震災直後から、全国で純粋倫理を学ぶ多くの有志が手を差し伸べて、
現在も支援を続けています。
被災地も、徐々にではあるものの、
復興からその先の創生に向けての歩みを進めています。

震災の経験は、時間の経過とともに薄らいでしまう傾向にありますが、
この九月は、災害への備えをもう一度確認する時期としましょう。
そして、日頃から、地球が育む自然の恩恵に感謝し、
畏敬の念をもって環境保全に努め、生かされている命を大切にして、
日々を朗らかに生きたいものです。

  一般社団法人 倫理研究所法人局
posted by いさはやせいかつ   at 21:17 | Comment(0) | 名言・格言

2014年09月14日

《変化対応の鍵はどこに?》九月のテーマ 波に乗る
今週の倫理890号

近年の再生可能エネルギーへの関心と相まって、
技術革新による世の中の変化がいっそう加速しています。
自動車業界では、ハイブリッドカーや電気自動車の普及が進み、
リッター三十キロを越えて走る低燃費の車が次々と登場しました。
エネルギーの分野では、シェール層から抽出する石油や天然ガス
(シェールガス)が注目を集めています。
また、ミドリムシからオイルを生産するバイオ燃料の研究や、
微生物が有機物を分解する際に電気を生み出す原理を利用した
「微生物燃料電池」の開発も進んでいます。
こうした社会の構造を変えるような技術革新や景気変動の波は、
一定の周期で起きると、様々な経済学者が唱えています。
             *
「世はまさに波動である、リズムである」。
これは倫理運動の創始者・丸山敏雄の言葉です。
さっと来て去る波、遅い波と、その波長に長短はあるものの、
行きつ戻りつ、浮びつ沈みつゴールに入る。
これが人生である、と著書の中で述べています(『純粋倫理原論』)。
 世の中の動きすべてに、リズムがあるとすれば、
変化に対応して、うまく時代の波に乗るには何が必要なのでしょうか。

近江屋ロープ株式会社という会社があります。
創業は一八〇五年。網づくりを本業とし、
明治以降は、林業や農業、鉱山の現場で使用する麻や綿の販売で栄えました。
戦後はビニールやナイロン製のロープの卸売り専門会社となり、
成長を続けます。しかし、林業の衰退やバブル崩壊後の公共事業の減少に伴って、
やがて経営危機に陥ってしまいます。

この時、社員の提案から起死回生の一手が生まれました。
山が荒れ、急増したイノシシやシカから農産物の被害を防ぐため、
害獣の侵入を防ぐネットの製造に乗り出したのです。
需要は思いのほか多く、特に、イノシシの侵入を防ぐネット「イノシッシ」は、
ネーミングのインパクトもあり大ヒット。会社は息を吹き返したのです。
時代の変化に対応して経営悪化からの回復を成し遂げたのですが、
その背景には、これまでの蓄積がありました。
ロープに関するノウハウ、山や森との関わりという自社の強みがあったからこそ、
時代の変化に対応できたのです。
新たなビジネスも、本業のレールの延長線上にあったのです。

時代の変化に対応するために、
過去のプライドや成功体験を捨てて臨むのは大切でしょう。
その一方で、捨ててはならないものがあります。
それは、何の会社なのかという企業の「本(もと)」、
本業であるコアの部分です。根無し草では、波に翻弄されて溺れてしまうでしょう。
変わらないわが社の「本」を見つめ、そこで働く人の心と、
企業の「本」がしっかりつながること。
これが時代の波に対応するための秘訣ではないでしょうか。


参考資料
『週間エコノミスト』8・26号( 毎日新聞社)
『千年企業の大逆転』野村進著(文藝春秋)
posted by いさはやせいかつ   at 16:26 | Comment(0) | 名言・格言

2014年09月03日

《スランプを抜け出すには》八月のテーマ 逆境のときこそ
今週の倫理888号

 自分を成長させたい、何とかこの問題をクリアしたい…と望んでも、
それが簡単に解決されることは稀でしょう。
好結果に至るまでの道のりは、なかなか厳しいものです。
今週は、二月に開催された冬季ソチ五輪で、
男子シングル・フィギュアスケート選手の一人として活躍した、
町田樹選手のエピソードを紹介しましょう。

町田選手がフィギュアスケートと出合ったのは三歳の頃です。
家族に励まされながらトレーニングを続けますが、
特に熱心に応援してくれたのは母の弥生さんでした。
母子での早朝ランニングを日課とし、
遠征中や合宿中も毎日会話をして、弱音を受け止める相手になってくれました。
用具代や遠征費がかさんだ時は、昼と深夜に飲食店で働くなどして、
やりくりをしてくれました。

運動能力に恵まれていたわけでもなく、
スポンサーやマネジメント会社のサポートもない中で、町田選手は、
オリンピック出場の夢に向かってひたすら努力を続けました。
家族の温かな支えもあって、メキメキと実力を上げ、
やがて国際大会にも出場するまでにレベルアップしていきました。

 2012年のグランプリシリーズ中国大会で優勝。
その後のグランプリファイナルにも出場しますが、
成績はまさかの最下位でした。
直後の全日本選手権でも9位と惨敗し、
ソチ五輪を前に、精神的にひどく落ち込みます。
スランプに陥った町田選手を、ある日、母親の弥生さんは
「自分自身を変えないと一生勝てないよ」と叱り飛ばしました。
母の厳しい一言と、そこに込められた深い慈愛にハッとさせられ、
町田選手は奮起します。

 気合を入れるため髪を丸刈りにして、坊主頭の写真と共に、
「試合期間中は電話してこないで」と母に決意を伝えました。
弥生さんは、そのメールから「何としても五輪に行く」
という強い決意を感じたといいます。
さらに、毎日の練習時間を自主的に一〜二時間延長して、
再起にかけたのです。
その後の試合では「自信を持って演じられるようになった」
とコーチからも評価され、ついに二十年間憧れていた
オリンピックの舞台へ立つことになったのでした。
               *
困難に直面した時、「困った、困った」と愚痴を言い、
弱音に終始していては、気持ちは萎縮するばかりです。
状況を打開するのは、「やってやるぞ」
「この苦しさを機会に自分を磨くぞ!」という前向きな心境と、
「成功するまでやり続ける」という継続力でしょう。

倫理研究所を創立した丸山敏雄は、青年に向けた書の中で、
「心境は、苦難あるごとに開け、障害にあうたびに成長する」
(『青春の倫理』)と喝破しています。

 困難な問題に果敢に挑戦する時、積極心は倍増され、
知恵や才覚が湧き出てくるものです。
苦難の中でこそ自分が磨かれると知り、
今直面していることから逃れずに、一歩ずつ前進していきましょう。

参考資料:『日本経済新聞』二月十三日
posted by いさはやせいかつ   at 10:13 | Comment(0) | 名言・格言

《人生の岐路に指す一手》八月のテーマ 逆境のときこそ
今週の倫理887号

 私たちの人生には様々な紆余曲折があります。
上昇気流に乗って商売がうまくいく時期。業績が悪化して、
資金繰りに苦しむ時期。
思いがけない逆境に直面して、
生きるか死ぬかの経験をする時期があるかもしれません。
誰しも、一生のうちに一度や二度は乗り越えなければならない
逆境に遭遇するでしょう。

それを乗り越えられるかどうかの分岐点は、
自らの「心」が密接に関係しているというのが、
私たちの学ぶ純粋倫理の特徴の一つです。
大なり小なり逆境に直面した時、
「困った」とか「苦しい」と言う人がいます。

「困」という字は「生命が囲われている状態」、
「苦」には「生命が枯渇している状態」という意味があります。
二つの字には、自分の生命を縮める、自分の能力に自分で限界点をつくる、
自分で成長を止めてしまう…
などの意味が隠されているのです。

将棋界の歴史に名を残す棋士故・升田幸三名人は、
大正七年に広島県で生まれました。
幼少の頃はやんちゃで、神社のご神体に小便をかけたり、
貧乏を馬鹿にされ、近所の女の子を日本刀で切りつけたりしたこともありました。
半面、将棋の腕は抜群で、近郷近在、升田少年にかなう者は誰もいませんでした。

 ある日「棋士になりたい」と母に伝えると猛反対されましたが、
自分の決めた道に進みたいという強い思いから、
母の物差しの裏に「この幸三、名人に香車をひいて勝ったら大阪に行く」
と書き置きして十四歳で家出。
木見金治郎名人の門下生になりました。

 昭和二十七年の第一期王将戦にて木村義雄名人を降して王将位を獲得。
昭和三十一年の第五期王将戦では、
大山康晴名人を相手に「名人に香車を引いて勝つ」という、
空前絶後の記録を達成。十四歳からの夢を実現させたのです。

なぜに氏は、自らに課した試練を乗り越え、
前人未到の偉業を成し遂げることができたのでしょうか。
それは、常に自分を向上させる自己暗示をかけていたからだと、
自著の中で語っています。
「私は自己暗示というのは、人生にとって非常にだいじなことだと思っている。
(中略)不成功に終わる人というのは、
自己に無意識のうちに自信喪失させるような暗示をかけている。
おれはもうダメだとか、終わりだとか、始終ボヤいたりして、
自分を奈落の底に落ちこませるような自己暗示をね。
逆に、伸びる人というのは、いつも自分を向上させるような暗示をかけてますよ。

ここに、わたしゃ分かれ道があると思う。
同じことでも、自信をつけるのと奈落の底へ落ちるように仕向けてるのとでは、
これ、天地の差がありますよ」(升田幸三『勝負』成甲書房)

どの世界でも、一流や超一流と言われて成功している人に
共通している資質の一つに「プラス思考」が挙げられます。
私たちも、いい言葉やプラスの言葉で自らの心に暗示をかけてみましょう。
そして、どのような逆境でも乗り越えていくという
不退転の決意で突き進む時に、順境という明るい道は拓けてくるのです。
posted by いさはやせいかつ   at 10:02 | Comment(0) | 名言・格言

2014年08月20日

《感謝こそ最大の気力》八月のテーマ 逆境のときこそ
今週の倫理886号

自分が望む順風満帆の理想的な状況。
現在の自分を取り巻く厳しい現状。
多くの人にとって、このギャップが課題であり、
苦難といえるでしょう。

乖離した理想と現実との深い溝を埋めるには、
まずは与えられた現状に対して―
―たとえそれが受け入れがたい状況でも―
―真正面から受け止めることです。

右往左往することなく、冷静に
この状況に至るまでの過程を見つめて、
より客観的な目でその原因を捉えることが先決です。

 もちろん苦難の只中に閉ざされた時は、
冷静な観察眼を発揮するのは難しいのが現実です。
心配事が脳裏を駆け巡り、
物事を悪い方向ばかりに考えてしまいがちです。
しかし、行なうべき手立てを講じることなく、
手をこまぬいていたり、責任転嫁に血道を上げていれば
どうなるでしょう。
状況は好転するどころか、いっそう悪くなるばかりでしょう。

 こうした状況から脱する一つの方途は、
「ない」ことへの不平不満から、
「ある」ことへの感謝の念を深めることです。
周囲の人や物、環境への「恩」の自覚を再確認することが肝要です。

『下剋上受験』(産経新聞出版)という、
受験生を持つ親たちを中心に、ベストセラーになっている本があります。
著者の桜井信一氏は、中学卒の両親のもとに生まれ、
自身も妻も中学卒という最終学歴です。
そうした状況の中、
一念発起して娘を私立女子中学校の超難関校へ
入学させることを決意しました。

 そのために選んだ方法は、進学塾に通わせるのではありません。
「親塾」と称して、娘と一緒に自らが受験勉強に打ち込んだのです。
結果、第一志望校にこそ合格は叶いませんでしたが、
超難関の有名私立中学へ進学させることができたのです。

 桜井氏の中には、
子供もまた自分と同じような道を辿るかもしれないという
「負のスパイラル」を断ち切りたい思いがあったようです。
何より、単に高学歴を望むのではなく、
愛するわが娘の可能性を広げることが一番の願いでした。
そのために、自らの挑戦として、
仕事と娘の受験勉強サポートの両立を課したのです。

著書には、受験勉強の過程でのとまどいや葛藤、逆境が綴られています。
そして、その過程で、様々な方から受けた恩をはじめとした
貴重な気づきがあったと振り返っています。
家族の絆をより強く育むことができたと言います。

 厳しい状況の時こそ、安易な手練手管に頼るのではなく、
自分が今こうして人生を歩むことができていることへの恩意識を再確認し
周囲への感謝の念を深めることで、
困難を乗り越える大きなエネルギーを得られるものです。

「感謝は最大の気力」と言います。
逆に気力が湧かない人は、
周囲への感謝の念が乏しい人とも言えるかもしれません。
 このお盆の時季は、祖先への「恩」を再認識する絶好の機会と捉え、
目の前の課題に挑戦する情熱を喚起してはいかがでしょう。
posted by いさはやせいかつ   at 19:20 | Comment(0) | 名言・格言